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-特別編-就職27年目にして退職したボクの決意とは(その1)

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令和3年9月30日。 この日を以て、大学新卒の23歳で入職したボクの約27年に渡る福祉施設職員の生活にピリオドをうった。

 

それに先立ち、実質3日前の27日に27年間出勤した職場への理事長始め、各部署などの挨拶、施設入居者さんへの挨拶、物品返却、離職手続き・・・・。

 

コロナ禍のご時世もあるので、密になる場面を避けながらの場面が過ぎていく。

 

そして、職場生活のすべてが終わった。

 

さてここで、ボクがなぜこの27年の社会福祉施設での27年間の勤務生活を終えることになったのか、そのきっかけと経緯を時系列に記して行こうと思う。

 

時は2021年1月にもどる。

 

元々ボクは身体障害者だ。 29歳の2001年で発症した右大腿骨の悪性腫瘍により、抗癌剤による化学療法、放射線照射を兼ねた手術などで、骨の腫瘍は幸い初期ということもあり、死滅させて命こそとりとめた。 しかしその代わりに、最終ボクの右足の骨は人工関節に入替され、筋肉を一部切除された障害の足になった。 それ以来、2003年以来肢体不自由4級の認定を受けた中途障害者である。

 

この人工関節には人工物の消耗品であるが故、耐用年数というものが存在するので、どこかで必ず限度がやってくると言われていた。 そしてこの18年の間、通算5回にわたる人工骨の入替手術を受けることになるが、この1月はその中の4回目にあたる手術の時期にあたる。 当然、休職を余儀なくされた。

 

通常は入院、手術となるとそれなりに自分には身体に負担、苦痛も伴うため正直非常に憂鬱になるのだが、この時ばかりは休職を迎える自分に正直ほっとする気持ちがあった。 なぜならその当時、在職していた職場でのボクの評価、特に周りのスタッフとの信頼関係がズタズタに崩れてしまっていたからだ。 それは紛れもなく、長年ボクを悩ませてきた業務中の自制できない居眠りが原因だった。

 

自分なりに、周りから注意指摘を受けるたびに猛省、再発予防の策を自分なりに模索をするが、状況は変わらずむしろ悪化、「怠け者、常識知らず」のイメージが固定化するのに時間はかからなかった。

 

そして休職の前日にも、上司からの叱責を受けたこともあり、この休職で一時的とはいえ、今の絶望的な環境からの逃避ができる意味でほっとした。 そして、このコロナ禍での手術もなんとか予定通り済ませ、直後から始まるリハビリの日々を過ごしながら、改めて自分自身を見直すことになった。

 

あっという間に退院の日になった2月末。 職場との話の結果、病院側のリハビリ療養の指示もあり、退院後の初めての再診検査結果次第で復職するとボクは決めた。 当然このときは復職するのに何の迷いもなかった、というより退職など、今の自分にはとてもできる身分じゃないと思い込んでいた。

 

ただ、休職前のその職場での「あの」状況がまた始まるのかと思うと、憂鬱さと足がすくむ暗い気持ちになっていた。 こんな時ほど、退院後の休養の日々はあっという間に過ぎていくものだ。

 

そして迎えた再診の日、検査も異常なかったものの、もう少し足のリハビリが必要という主治医の助言もあり、もう少し休職できることに、やはりほっとしている自分がいた。

 

しかし、無常にも日はすぎていき、復職前の挨拶に職場へ行く日がやってきた。 何ともいえない緊張、不安。 上司からは復職に向けて改めてアウェイともいえる、職場での逆風が巻き起こっているという報告をボクは耳にしてしまう。 そしてこのことがさらにボクの復職への足を鉛のような重さにしてしまった。

 

案の定、ついに復職を明日に控えた前日の晩、一睡もできずに復職当日の朝を迎えた。

 

たまらなく緊張、不安、恐怖が・・・。 そんな中でも、家族にもそんな顔を見せる勇気もなくこわばった表情のまま、ボクは家を後に職場へ向かった。

 

なんとか職場へはいくことはできた。 しかし、何かがおかしい。 職場の出会う人出会う人が挨拶はしてくれるのだが、なんかそっけなく感じる。 いや、今思うとそういう風に自分には映っていたんだと思う。 さらにその姿が、「今ごろ出てきやがって。おまえの居場所はもうねえんだよ!」 といっているように思えて仕方がなかった。

 

先日上司の言っていた「アウェイの空気がこれなのか・・・。」すぐにボクの頭の中をかすめた。 そう思うともうそこにはいられなくなり、人気のないところへ思わず避難して、膨大にデスクに積まれた自分の休職中の申し送り事項など、遅れを取り戻すべく情報収集にとりくんだ。 だがどうだ。 全く頭に入らない。 おまけに数年前に経験して以降、薬で落ち着いていたはずの過呼吸症状が出てきて、時々事務所へ入ってくるスタッフに対して、ボクはその異変に気づかれまいと必死に笑顔で対応するのがやっとだった。

 

結局復帰初日はそれだけで勤務時間は過ぎ、明日から改めて頑張ろうと思い直そうとするも、こんなんでやっていけるのか? という不安がそれ以上に押し寄せる。 自分の中でもやもやが止まらず、息がつまり、たまらず「うわーーーーーつっ!!!!!」って誰もいないところで叫びたい気持ちにかられた。 それだけで精神的にもくたくたになり、なんとかかんとか家路にもついた。

 

翌日は休みだった。 というよりも、シフトを組む上司にボクから復帰したては疲れると思うので一日おきにしてもらうよう配慮を願い出ていたのだ。 しかし、もうすでに明日の出勤がすでに不安になって、昼前になっても布団から起きたいと思わず、やる気もおこらずごろごろしていた。 完全にうつ症状の再発そのままだった。

 

ボクの不安は一日中収まらず、何も考えずぼーっと頭に入ってこない録りためていたビデオの画像をすっと見て不安を掻き消していた。 しかし、いよいよ寝る時間になる。 しかし、全く眠れるわけでもなく、日が変わった夜中にたまらなくなって、寝ている嫁をたたき起こした。 それは今までのこの不安な気持ちを伝える中で、当初、副業をして家計を助けるべく意気込んでいた講座に高額資金をカード払いしていたという事も全部うちあけた。

 

いつも冷静客観的考えを述べるヨメもさすがに、寝ているところを無理やりボクに起こされたことも手伝い、珍しく感情的な「怒り」の気持ちをぶつけてきた。 そして結局は、明日勤務に行く自信がとてもないボクの打ち明けに失望のため息をつかれながら、ヨメが一緒に付き添って職場についていくことになった。 いや、むしろ付添してもらう幼稚園児のような情けない気持ちでいっぱいのボクだった。

 

そして翌日の朝、上司へあらかじめメールでヨメと一緒に行くので面談を希望、受理され、ヨメのあとへついていくように面談室へ入っていったー(つづく)。