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ー特別編ー就職27年目にして退職を決めたボクの決意とは(その3)

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さて、この特別編もすでに3回目を迎えた。前回はちょうど、ボクがつい先月まで在職していた職場の復帰初日でのパニック症状から、結局そのままの勤務継続が厳しくなったため、出勤も任意によるものになった。

 

実はその面談で決まった直後から、ボクはもう明日の予定されていた出勤の可否について心配という不安に襲われていた。怖かった。

 

そして次の日、やはりその不安は的中した。朝になると、いてもたってもいられなくなる気持ちすきがボクを襲い、すっかり心はそわそわしながらも、ヨメがパートにいき、子ども達も学校ということで、一人である気楽さで午前中ずっと布団にもぐりこんでいた。

 

何もしたくなかった。何も考えたくなかった。

 

結局午後になっても不安な気持ち入れず、事前に出勤できないときは連絡を入れることだけは忘れずにと思い、自分で連絡をいれた。

 

ほっとした。

 

と同時に、この時、ボクは直感した。

 

「あ、またこれ休職するのかも・・」と。

 

そして、その予感はこの日の晩には的中することになる。

仕事から帰って来たヨメの「これはいよいよ復帰できないかもね。」という言葉につづき、結局どうするのか答えを迫られた。 ボクは、ありのままに今は出勤に自信がないことを伝えた。

 

ヨメは一息ため息をつき「わかりました。 そしたらもう休職するとして、その間の生活費はたちまち困るから健康保険の傷病手当金を申請してほしい。 こちらは、自分の給与も少しでもあげれるようパート時間を長くしたり、新しく職を探すか・・。 次男については、まだ高校受験を控える身。 こっちは子供達のこともあるし、手一杯だから、自分(ボク)まで手が回らない。 だから、(ボクは)実家にいって(同居の兄に)食費だけでもなんとかならないか頼んでみる・・・」と。

 

「ボクは実家へ行くことになる、ということは「ここ」を離れるということか~?」と思うと「ちょっと待って」という言葉が思わず出た。

 

ん?出たのか7あまりにも衝撃過ぎてよく覚えていない(笑)。

 

ただ、何らかの抵抗(笑)ともいえるアクションは起こしたと思う。

 

しかし、ヨメはボク以上に、もう一緒に一つ屋根の下にいることが限界だった。

 

というのも、ヨメとは結婚して20年を越えるが、いつしか「夫婦」というより、単なる生まれてきた二人の子供がつなげる「同居人」というほうが正しいほど、夫婦仲は冷めていた。今思うと、ボクのこの「発達障害」ならではの多動性の落ち着きなさなどあったが、何よりもヨメには金銭遣いの荒さが相当なストレスになっていたような気がする。

 

基本、ボクの場合、小遣いをヨメからもらう。つまり生活費などの金銭管理はヨメ管理だ。だからというか、ボクはただ毎月もらうお金を自由気ままに使っていた。足らなくなったらある程度工面してなんとか生き延びようとするが、どうしても乗り越えられないときがある(笑)。そのときは、頼むなら「ちょっとお金が足らない」ということをボクも言えたらよかったのだが、ボクにも変な意地や恥ずかしさ(お金管理ができないと思われたくない。かといってもう少し小遣い額を上げてと言ってもそんな余裕はないと一蹴(笑)されるだけだ・・とか)があった。

 

ではどうするのか?

 

その場しのぎのあることないこと(つまり嘘)言って(仕事で必要なお金がある・・など)、とりあえずのお金を必要資金として出してもらう。当時はそれで過ぎていたからうまくいったと思っていた(笑)。自分で「なんでここまで・・」と切ないなと思いながらも「これが現実だな」と、どこかでそれほと良いとは思えない収入でやりくりしてくれている、ヨメへの妥協をしている自分もいた。

 

しかし、ヨメは分かっていた。それがその場しのぎで対応したボクの嘘も何もかも。でもその時には言わなかった分、確信犯的に起こしてきたボクの「前科」を一気に連ねていったのだった(笑)

 

そういったこともあり、ボク自身も「もうこれ以上ヨメを苦しませたくない。」「ボク自身ももう息の根がつまるほどヨメと一緒の生活がしんどくなってきていた。

 

「今はお互い距離を置いたほうがいいのかも・・・。」と。

 

最終的にボクはそのヨメの要求を飲んだ。そして1か月後、必要最小限の荷物を持ってボクは自分の自宅を後にしたのだったー(つづく)。