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今から26年前のボクー1995年ー

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ども。どりしげです。

前回の予告通り、今回よりボクが歩んできた26年間を振り返りますです(笑)。

 

時は1995年。阪神大震災が関西を襲った1月17日の直後の2月下旬に、ボクの勤める社会福祉法人の運営する高齢者福祉施設が大阪で産声を上げた。

その時、ボクは23歳。一浪で入った外国語大学の4年生で、その新設施設への内定が決まっていた。

そのため、何かと開設準備や当直のバイトやらで、震災時に味わったことのない恐怖を覚えた余韻もつけないほど多忙な日々を送っていた。

大学で専攻した語学系の仕事には進まず、全く畑違いの福祉分野に足を踏み入れようとしていたボクは、入職時に採用の決め手になった施設長の「君の福祉に対する熱意を信じて、採用スタッフ中唯一、福祉系出身以外の人も入れてみた。」という評価を糧に、初めての社会人としての仕事に意気込んでいた。

実をいうとボクは、これまで全く福祉の仕事をしたことがなかったというわけではなかった。

大学在学中に就職活動中に出会った兵庫県内の特養施設に大阪から片道2時間半かけてボランティアでそこの介護スタッフの方々の補助業務でボランティアを体験させてもらっていた。

そこでは、入居されている方々のシーツ交換、食事介助、汚物処理、おむつ交換、車いす誘導、入浴着替え介助・・・などなど目新しい体験をしてきた。

だからというわけではないが、ボクは全くの初心者ではないという今思えば脆い、へなちょこな自信があった。

しかし、今回の就職先の施設の開設式が終わり、真新しい建物の匂いの残るこの高齢者施設に入居希望の方々が入居してくると、その脆いボクの自信はガラガラガラと見事に音をたてて崩れていった(笑)。

当時は、介護保険の制度もなく、入居希望者は自分で入居施設を選べない行政による措置の時代。

だから、連日2名づつの入居者が、役所スタッフに連れられてどんどん入居してきた。

その度に渡されるフェイスシート、いわゆる入居者の人となりが書かれた履歴書のようなものを渡され、面談に立ち会い、現場へお連れして、早速の実践。

新設の施設だから先輩も後輩もない、新人研修もなく即実践の日々。

当時、健常者だったボクはこの6年後、右足の身体障害者になることもつゆ知らず、一人夜勤もこなす介護スタッフとして配属され、見よう見まねで周りの業務経験のあるスタッフに、布おむつ(今は姿を消したが当時はレンタル業者により布おむつも取り扱っていた)のセット、巻き方の方法から覚えていった。

昼夜問わない不規則な仕事にも、意外とすんなり馴染んだボクは毎日、やりがいを感じて勤めに励んでいた。

そんなボクに、最初の異変が見えたのは、入職して約半年後、同じ施設内の別フロアへの初めての異動をしてしばらくしてからだったー。(つづく)