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-特別編ー入職27年目のボクが退職を決めた決意とは(その6)

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(その5より続く)

このー特別編ーも、まさかのその6・・。いかに自分のこの退職決意に至る流れが1~2つの記事ではまとめきれないほどの濃い~ものだったことをひしひし実感(笑)。

 

さてさて、緊急で激痛の右足をなんとか松葉杖で浮かせつつ、時々はすわり場所をみつけながらなんとか3時間以上かかる病院までの道のりを激走、当日受付時間ぎりぎりで病院へすべりこんだ。そして、主治医の指示で受けた足レントゲン検査の後、ボクを待ち受けていた検査の衝撃の結果は・・・。

 

「あ~、(右足の骨が)折れてるね~(笑)」と、主治医の苦い表情・・・。

 

つまり、もともとの抗がん剤治療、度重なる手術で、人工関節を支えていた大腿骨上部の自分の骨が、ついに支えきれなくなり、今回の事故で完全に折れてしまったのだ!!

 

つまり、あの時の「バキッッ!!!!!」の衝撃音は、紛れもなく骨折の音だったことがこれで確定したわけだ(泣)。

 

ということは勿論、「これは手術でしか治せない!」との主治医の決断により、再び入院の確定。

 

そこからの怒涛の入院前検査。急遽、病院の車椅子を用意いただき、長年福祉職の経験で使いこなした車椅子自走の華麗なテクニックにより、自走で検査会場をぐるぐる回り、一日がかりで夕方すぎに入院予約をしてなんとか終了。

 

主治医はこの足の惨状から、今日からでもボクを入院させたかったようだが、入院準備もあるからとなんとかこじ開けてもらえた手術日の二日前に入院予約を済ませ、また帰りも死にもの狂いで帰宅。

 

絶望の中、我がヨメにも重苦しい再入院報告(笑)。「・・・・もう、カンベンしてよ・・・・。」とさじ投げ状態の一言。

 

「おれが一番カンベンしてほしいよ!」と思わず返してしまったボクは、それはつまり「わざと事故したわけじゃないし!」といういらっとした気持ちを「結局、結果がすべてだしな・・」という思いでおさえこんだボクの必死の対応だった。

 

同時に、「やるしかないな!」という改めてのボクの決意表明を決心させるものだった。

 

その日からというもの、ボクの実家での居候生活はさらに身体的に過酷なものとなっていった。

 

まず、実家の1階は父親の介護用ベッドで占められていた背景から、拠点を2階にしていたボクに避けられなかった最大の難所は階段。なんとか右足の負担痛みなく最小限にするため、座りながら、かつ杖を持ち運びしながら昇降する独自の手段を編み出し(笑)して、ごはんやトイレなどの度に往復していた。あとは、常に骨折の尋常でない痛みをおさえるために数時間ごとの鎮痛剤服用。

 

そんなこんなで1週間が過ぎた。骨折翌日から始まった骨折部分の内出血部位は、右足の大腿部全体を表側から裏側の順に、皮膚色が真っ青になり黄色くなっていくのをズボンを下ろす度に確認、ボクに起こっている事の重大さを実感(笑)。

 

そして「入院予定日までまだ1週間もある」とふとボクの頭の中に浮かんだ瞬間、すぐボクは入院予定の病院へ入院日の繰り上げをしてもらおうとスマホを手に取り、いつの間にか電話をかけていた。そして、このコロナ禍の非常時に奇跡的に入院前1週間目の日に入院予約ができたのだ。

 

今思い出すと、とんでもない日々を送っていたと思う。その日々のスポットライトは思い出せるが、細かいところはどうしていたのかは思い出せない(笑)。

 

それほど、過酷なものだったように思う。

 

そして、再入院となった6月中旬から7月までの1か月余りの期間、いよいよ自分の職場退職を決定づけるものとなるー(その7へ続く)。